【新年のご挨拶】平成最後のお正月。
新しい年になりました。
『平成最後のお正月』ですね。
年末は(わたし的には珍しく)バタバタしており、気づいたら今日は元日。まっさらな年が始まったのですね。早いものです。
テレビで何度も何度も『平成最後の〇〇』というフレーズが繰り返され、それを聞くたびに なんだか心がざわざわします。
昨年は、私にとって あまり良い年ではありませんでした。
1月早々に夫の母が亡くなり、そして夏の終わりには愛猫ひよりが亡くなりました。
私にとって大きな存在が、平成の時代とともにいなくなってしまった、という感じです。私のまわりでは色んなことが変わっていくのに、私はずっと同じ場所にいて、一歩も前に進めていないな・・・。そんなことを考えていると、どうにも心のざわつきが止まりません。
今年は、ぜひとも良い年にしたいものです。
さて、昨年 秋が始まった頃、思いがけずブログを始めて3か月あまり。愛猫ひよりが病気になってからの記録を綴ってきました。
当初はこんなにたくさんの方々に読んでいただけるとは思っていませんでした。そして、スターを付けて下さったり、コメントを書いて下さったり...。こんなに温かいホカホカのお気持ちをいただけるなんて。
本当にありがとうございます。
この記録が誰かのお役に立てれば・・・という思いと、そして私自身がひよりへの後悔を忘れないために・・・、私が背負った十字架を 時の流れとともに勝手に下ろしてしまわないように・・・と 始めたブログだったのに(自分で自分を責め続けようと思ってブログを始めたんです。ドSかドMか分かりませんね。)私は皆様の温かいお気持ちに触れるたびに、少しずつ十字架が軽くなっていくような気がしています。これでいいのかなぁ。
皆様の優しさが溢れすぎて、私、ひよりを辛い目に合わせた自分を 勝手に自分で許してしまいそうです。。。
これ以上書くと、新年早々とても後ろ向きなことを書き連ねてしまいそうなので、今日はこの辺でやめておきますね(笑)。
お伝えしたかったのは、
『昨年は本当にありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願い致します。』
です(*^-^*)
ブログは今年も続きます。お時間の許す限りお付き合いいただけると嬉しいです。
皆様にとって新しい年が この上なくホッカホカでありますように!
「うちのダメ飼い主を よろしくお願いします。」
神様がくれた1週間<1日目> ・・・’18.9.1のこと。
↓前回です。病院から帰ってもパニック状態のひよりは、麻酔が効いた状態のまま もつれる足で押し入れに飛び込みました。私は心配で、朝までろくに眠れずに過ごします。
ここにいてくれることに「ありがとう」
早朝ウトウトして目を覚ますと、ベッドの脇で ひよりがきちんとお座りをして、じっと私を見ていた。
ああ、ひよりがいる。ちゃんとここにいる。ひよりを撫でながらこらえきれずに泣きじゃくる。いつの間にか目を覚ましていた夫も泣いていた。
それと同時に『やっぱり夢じゃなかった。ひよりはもう治らないんだ。』という絶望もやって来て落胆する。気持ちの整理がまだちっとも追いついてない。
しばらく夫と一緒に泣きながらひよりを撫でた。ひよりはそれに応えてねりねりと体を預けてくれる。ひよりの体温を感じながら、ひよりが今ここにいてくれること、この瞬間に生きていてくれることに、夫と2人で感謝した。
ひよりがリビングに移動するようなので、私も後を付いていった。寝室ではまだ夫が鼻をすする音が聞こえていた。夫はこんなに泣く人だったっけ。泣き顔なんてほとんど見せたことが無い夫が、堪えきれずに泣いている。私と夫にとって、娘同然の大切な存在であるひよりがもうすぐいなくなる、これが現実なんだ、と 、夫が泣く姿を見て思い知らされたような気がして 余計に苦しくなった。
ひよりはまだ焦点が合っていないようす。しばらく歩いてはぼーっと空中を見て、また歩き出す。痛みは48時間続くと先生は言った。ぼーっとしていてもいい。このまましばらく麻酔が効いて痛みを感じずにいてくれればいい。
3つの約束
夫が仕事に出かけるころ、ソファでひよりを膝に乗せてみると くつろいでゴロゴロ言ってくれた。このところのひよりは、体に触っただけで吐き気をもよおしていた。なのに今は膝でゴロゴロ甘えてくれている。こんなに穏やかなひよりは久しぶりで、嬉しくてこの時間を止めてしまいたくなる。
結局 夫が出掛ける時もひよりを膝にのせたまま動きたくなくて、夫には自分でお弁当を包ませ、水筒にお茶も入れさせ、玄関まで見送ることもせず、私とひよりはソファに座ったままで「行ってらっしゃい」をした。
今日はひよりの気が済むまで ひよりを膝に乗せていよう。ずっとひよりと一緒にいよう。ずっとひよりのそばにいよう。
膝にひよりを乗せながら、私とひよりは3つの約束を交わした。
①もう絶対キャリーに入れない(病院に行かない)。
②もう絶対食べ物を無理やり口に入れない。
③でも薬だけは許してね。
↑膝に乗ってくれたひより。まだ少し目がうつろ。
穏やかに過ぎる時間
今日のひよりは具合が悪くなることも無く、ソファやクローゼットなどに場所を移してはゆっくり眠っていた。
ひよりと2人で一緒にベランダを眺める時間もあって、穏やかに時間が過ぎる。外の景色にひよりが興味を示すなんて。
昨日まではぐったりと横になり、吐きそうに口をくちゃくちゃさせていたのに、昨日の手術を境に何か憑きものが落ちたように穏やかになったのが不思議でたまらない。
夕食の支度をする頃、ひより自ら私の膝に乗ってきてくれた。夕食の買い物に行かなければならない時間だったけど、ひよりが膝に来てくれたので動きたくない。今日はもちろん ひより優先。夕食は夫にお弁当を買ってきてもらうことに。
夫が帰宅した時、ひよりは膝でゴロゴロ甘えているところだったので、夫を出迎えることが出来なかった。今日は朝の見送りも、帰りの出迎えも出来なかったが、それでも夫は ひよりが穏やかにくつろいでいることが嬉しそう。夫は牛丼を買ってきてくれた。
ひよりはまだ少し目がうつろ。先生が言ったように、けっこう長めに麻酔が効いているようだ。明日が痛みとの本当の戦いなのかな。ひより、痛い目に合わせてしまってごめんね。ダメ飼い主でごめん。私も一緒に頑張るね。頑張って明日も一緒に乗り切ろう。
****************************
【後記】
腫瘍が取れない物だと分かった時、先生に提示された選択肢の中に「眠ったままで安楽死」というものがありましたが、私はそれを選ばず「家に連れて帰る」を選びました。 ひよりを家に連れて帰ると決めた時、病院の先生には「苦しむ姿を見ることになるかも知れませんよ」と言われ、「ああ また私のわがままで ひよりを苦しませるのだな...」という思いがよぎりました。ですが、そんな思いとは裏腹に この日のひよりは本当に穏やかに過ごしてくれて、こんな時間を作って下さった神様に感謝しました。
(’18.12.25)
前々回の記事「長い長い1日③・・・'18.8.31のこと。」に<通院の覚え書き>を追記しました。ご参考までに。
【番外編】ひよりのいない冬 ・・・今朝のこと。
皆さま、寒さが心にしみる季節に ツライ話題ばかりが続く このブログを いつも読んで下さりありがとうございます。
今朝、ふと思ったことがありまして…今回はいつもの日記風のブログをお休みして、番外編をお届けしたいと思います。よろしければお付き合い下さい。
寒くなってきましたね。もう完全に冬ですよね。
寒さがニガテな私は、厚手のセーターを着る日が増えてきました。
久しぶりに着るセーターをタンスから出すと、もれなく "ひよりの毛" が付いてきます。
猫のいるご家庭あるあるですかね。
我が家では "ひよげ" と呼んでいます。
今年の冬は…ひよりがいません。
こんなに寒くて寂しい季節を、もう乗り越えられる気がしない と思っていた時に 思いがけず 出てくる ”ひよげ ”。
なんだか寂しような温かいような・・・何とも言えない泣き笑いの気持ちになります。
「”ひよげ” を入れておくからね。」
今朝も、夫がスーツの下に着るニットのベストをタンスから出したら、”ひよげ” が1本付いていました。
いつもならコロコロで取り除くところだけど、今はもう、1本の "ひよげ" も捨てられなくて、夫には内緒で そっと付けたままにしておきました。
朝食を食べ終えて、ニットに付いた "ひよげ" に気づいたらしい夫。
こっそり見ていると、指先で大事そうにつまんでポケットに入れていました。
『ああ、私と同じ 泣き笑いの気持ちの人がここにもいる』と思ったら、ひよりのいない この冬をもう少し頑張ってみようと思うことができました。
ひよちゃん、私たちをどこかで見ていて "ひよげ" で元気づけてくれてるんだね。
手のかかる私たちでごめん。
「しっかりしてくださいよ。」
ありがとうね。ひよちゃん。
長い長い1日③ ・・・’18.8.31のこと。
↓前回です。ひよりのお腹には、"取り除けない腫瘍"があることが分かりました。 chatorajirushi.hatenablog.com
「怖かったね。痛かったね。ごめんね。」
15:46、先生から「ひよりちゃんが目を覚ましました」と連絡。
夫と2人、急いで迎えに行く。
ひよりは既にキャリーに入れられて、診察室の隅にいた。
殺気立った顔で、ヒゲのあたりを膨らませ、毛は逆立って真っ黒の目。私たちの姿には気づかない様子で空中を睨んでいた。
こんなひよりは初めてで、今日一日ひよりがどんな思いでここにいたのか、今どんな思いでそこにいるのかが、私の胸のあたりにゴツンと伝わってきて痛かった。
怖かったね。痛かったね。ごめんね・・・。早く家に連れて帰って安心させたい。抱っこしてたくさん謝りたい。
診察室で先生が、症状について色々説明してくれている。夫が熱心に聞いている。
がんは、小腸と大腸の間に出来ていて、この部分は切り取ることが出来ないこと。小腸と大腸は太さが違うので、もし切って繋げてもすぐに破れてしまい、余計につらい思いをさせてしまうこと・・・。
お腹を縫った糸は抜糸しなくていい糸で、縫い目は内側に隠れるように縫ったからエリザベスカラーは付けていないこと。
手術後の痛みとの戦いは48時間が勝負だということ。だから、麻酔も完全には覚ましていないから、明日も 朦朧としているだろうということ。
今の腫瘍の状態はかなり大きくなっていて、かろうじてバリウムが通るくらいの隙間しかないとのこと。今後は飲み物しか口にすることは出来ないだろうこと、もう食べ物は食べられないこと・・・。
診察室でヘタり込む
そして先生が言った。
「このまま1週間生きられるかどうか。」
1週間???
・・・・・???
・・・・・・・・???!!!
目の前が急に砂嵐のようになって、頭やほっぺがキーンと冷たくなっていくような感覚になり、足を踏ん張ってはみたものの、結局ザーッという音とともに視界が白黒に変わって 私は床にヘタヘタと座り込んだ。
夫が手を差し伸べてきたが それを掴むこともできず、座ったまま ”キーン” と ”ザーッ” が治まるのを待った。嗚咽も止めることが出来ず、もう先生の話は”キーン”という音越しに聞くしかなかった。
夫はがん治療の話を聞いているようだった。
先生は、リンパ腫ならよく効く抗がん剤があると言っている。「私の見たてでは”腺がん”だと思うのですが、確定診断には病理検査が必要です。病理検査に出してみて、もしリンパ腫だったら治療しますか?」と先生。
夫が「検討したいので、念のため病理検査をお願いします。」と答えている。
空中で交わされる会話をぼんやりと聞きながら、私はキャリーの中で殺気立ったひよりの顔を見つめ「もう ひよりをキャリーには入れない。病院には絶対に連れて来ない。」と誓っていた。
「ひよりの大好きなおうちだよ」
家に連れて帰ると、玄関に入ってもひよりは我が家だとは気付いていない様子で、相変わらず殺気立った表情で固まっていた。
「ひよちゃん、帰ってきたよ。大好きなおうちだよ。安心して。ゆっくりしようね。」声を掛けながらリビングに入る。
リビングに入ってキャリーを下すと、突然我に返ったひよりはパニック状態になり、キャリーの中で暴れて 扉を押し破るようにキャリーから飛び出した。そのまま もつれる足でダッシュして 押し入れの中に入ってしまった。
麻酔がまだ効いているのに、傷口は縫ったばかりなのに、とにかくダッシュで押し入れに向かっていった。
押し入れの上の段、タンスと壁の15センチほどの隙間が、ひよりが一番落ち着ける場所。上の段にのぼるのに少してこずり、足を滑らせながらも必死だった。よほど怖い思いをしたんだね。本当にごめん、ごめんね。こんな事になってしまって本当にごめんね。
ぼーっとしてても ひよりはひより
押し入れに入ったまま、ひよりは夜11:00頃になっても出てこない。
押入れを開けて様子を見ると、眠ってはいないようで目を開けてぼーっとしている。私のことが分かっているのかどうか、私を見ることもしない。なんだか ひよりじゃないみたい・・・。ひより、怒ってるのかな、もう嫌われちゃったのかな。あんなに怖い思いをさせて、私のこと もう信用できないよね。
今夜はこのままそっとしておこうと夫と話し、私たちも眠ることにした。
布団の中で眠ることもできず悶々と過ごすこと数時間、押し入れからひよりが下りる音した。
急いで布団を出て行ってみると、ひよりがぼーっとした表情で座っていた。
朦朧としてはいるけど、さっきまでの硬い表情は無くなっていて ”いつものひより” がそこにいた。ああ、ひよりだ。胸がいっぱいになる。
「ひよちゃん!」声をかけると、よろよろと立ち上がり私の足にねりねりと体を預けてくれた。ああ良かった。いつものひよりだ。うれしくて安心して、ひよりの体温が愛しくて泣けてくる。
ひよりは ぼーっとして目もうつろ。時々4つ足で立ったまま ぼーっと空中を見る。のろのろと動きだしてカーペットにごろんと倒れこみ、体をなでる私の手にもねりねりとしてくれる。そして急にねりねりを止めて、焦点の合わない目で空中を見る・・・。
まだ麻酔が効いているんだよね。痛みは無さそうでよかった。術後48時間は痛みがあるだろうと先生は言っていた。だからきちんと麻酔は覚まさせていないよ、と。
どうかこのまま痛みを乗り越えられますように。どうか明日の朝も "いつものひより" に会えますように・・・。
****************************
【後記】
この日、ひよりのことが心配でたまらなかった私は、朝まで ひよりに付いていたかったのですが、その思いを振り払って一人で眠らせることにしました。なぜなら、ひよりは眠っていても ふと私に気づくと起き上がり、私の体に体重を預けて ねりねりを始めてしまうからです。私としては嬉しくてたまらなかったのですが、朦朧としたままそんな事を何度も繰り返してしまうのは、ひよりにとって良い事ではないはず。今夜は私の思いよりも、ひよりがゆっくり眠れることが大事、そう思いました。
ただ、寝室に引き上げてからも、これが最後のお別れになったらどうしよう、この判断を後悔したらどうしよう、と私は朝までろくに眠れずに過ごすことになります。
(’18.12.17)
<通院の覚え書き>
8/31 体重 3.2kg
再診 ¥500-
ソルラクト/Drip ¥4,000-
アモスタック/s.c(~10kg) ¥0-
メタカム/s.c(~10kg) ¥0-
レペタン/i.v ¥0-
全身麻酔 ¥10,000-
試験的開腹術 ¥25,000-
病理組織検査 ¥12,000-
エックス線検査(産科領域を除く) ¥6,000-
消費税 ¥4,600-
合計 ¥62,100-
長い長い1日② ・・・’18.8.31のこと。
↓ 前回です。触診で、ひよりのお腹に”何か硬い物”があることが分かりました。
「腫瘍でした」
ひよりのお腹にあるという”何か硬い物”・・・。腫瘍だったらどうしよう・・・。
先生からは開腹手術を提案され、私は迷わず了承した。結果が分かったら電話をくれることになっている。電話を待つ間「ネズミのおもちゃでありますように・・・」と祈る私と、「ひよりの病気は "がん" だったんだ・・・」と絶望する私が交互にやって来ていた。
15:00過ぎ、電話が鳴った。先生からだ。無意識に立ち上がって電話に出る。
先生は、開口一番「腫瘍でした。」と言った。続けて先生は説明してくれた。
「小腸と大腸のつなぎ目あたりに腫瘍ができています。もうかなり大きくて、腸を塞ぎつつあります。今はかろうじてバリウムが通れるくらいの隙間がある状態です。」
無言で話を聞く私を、夫が不安な表情で見ている。私はもう血の気が引いて立っていられず座りこんだ。先生は話を続けた。
「おそらく『腸腺(ちょうせん)がん』だと思います。病理検査をしないと確定診断はできませんが、おそらく私が見た限りリンパ腫ではない感じです。」
「腸腺がん・・・。」私がつぶやいたので、夫がパソコンで『腸腺がん』について調べ始めているようす。先生の話は続く。
「この小腸と大腸のつなぎ目は、絶対に切り取ってはいけない場所です。猫だけでなく人間の場合もそうです。残念ですが、このままお腹を閉じるしかありません。予定していた”胃ろう”も出来ません。もう食べ物は腸を通過できないでしょうから…。」
もう何を言われているのか頭が付いていかない・・・。
残酷な三択
そして、先生から思いもよらない三択を提示された。
「今後のことについて飼い主さんに決めてもらわなければなりません。これから3つの選択肢を言います。むごいお話ではありますが、落ち着いて聞いて下さい。」
私は涙をボタボタ垂らしながら 呼吸をすることに精一杯で、返事もできずにいた。先生に提示された選択肢はこうだった。
①積極的にがんを治療する。
②家で最期を看取る。
③このまま眠ったままで安楽死。
もう声も出せない状態だった私は、絞り出すように
「家に連れて帰りたい・・・・・!」とだけやっとの思いで答えることが出来た。
私の言葉に全てを察して 男泣きに泣く夫が 目の端にぼんやり映っていた。
(『長い長い1日③』につづく)
****************************
【後記】
"胃ろう" を決心するまでに あんなに時間がかかったのに、結局 ”胃ろう” は出来ませんでした。色んな人に背中を押してもらって、ようやく決心した ”胃ろう” だったのに・・・。
異物や腫瘍なら取り除き、元気になるために ”胃ろう” をして帰ってくるはずでした。”胃ろう”さえすれば、また ひよりとの楽しい生活が戻ってくると思っていたのに、それ以外の『取り除けない腫瘍』(=命をあきらめる)という選択肢があったなんて思ってもいませんでした。この現実を目の前にして 夫と2人、しばらくは無言で泣きました。
元気になるために病院に行ったはずなのに、こんなに最悪な結果があるんだろうか。そうだ、きっとすぐに目が覚めて「あー、サイアクな夢見た!」って言うんだ。「夢で良かったねー!」って、ひよりと一緒に笑うんだ。
この日から数日間は、毎日そう思っていました。
(’18.12.12)
長い長い1日① ・・・’18.8.31のこと。
↓前回です。嫌がるひよりにバリウムを飲ませました。
緊張の朝
いよいよ今日は”胃ろう”手術とバリウム検査。
昨日しっかりバリウムは飲めたから、後は先生に全てお任せする。
今日12:00前にひよりを病院に連れていくことになっている。そうとは知らずに眠っているひより。ぐったり眠っているが、吐き気は無さそうで良かった。
ひよりの事が心配で仕事どころではなくなった夫が、仕事を調整して休みを取ってくれた。一人で病院に連れていくのは心細かったので心底ホッとした。
それでもやっぱり不安で不安で、なんとか不安を減らしたくてたまらなくて、軽い気持ちで姪にラインをしてみた。
「ひより、胃ろうになるよ。不安だよー。」と送ると
「猫にも”胃ろう”ってあるんだ?!」と返事。
その後、「でも”胃ろう”作っちゃえば大丈夫だよ!」と返ってきた。
この姪っ子の「大丈夫だよ!」になんだか救われて、不安の水位がスーッと下がった。私の周りには ”胃ろう”を賛成してくれる人は少なかったので、姪が「大丈夫」と言ってくれたことに味方が出来た気がして嬉しかった。
↓病院に連れていく直前のひより
ついにこの時が
11:40、いよいよ病院に連れていく時間が来てしまった。
よく眠っているひよりを起こしてキャリーへ。ゆっくりしているひよりを起こすのはいつでも胸が痛む。ひよりは嫌がって抵抗したがキャリーに入ってくれた。
12:00前に病院に到着。ひよりは緊張して目は真っ黒。体はカッチカチ。体重を測ると3.2kg。前回(8/22)より300gほど減っているが、先生は「それほど減ってませんね。このまま麻酔できますよ。」とおっしゃる。いよいよだ、と思うと緊張で倒れそうになる。
ひよりを置いていくのがかわいそうで、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。もうあとは先生を信じて任せるしかないんだ。
ひより頑張ろうね。すぐに迎えに来るからね。
夫と2人で昼食をとるべく、近くのファミレスに入ることにした。二人とも緊張して味も何も分からない。夫はポジティブに考えようと必死な様子で、いつもは無口なのに今日はしきりに話している。
「一番いいのは異物だよね。きっとネズミのおもちゃを誤飲してるんだ。今日はそれを取ってもらって、胃ろうもしないで帰れる。うん、それがいい。」
そうだね。確かにいちばんいいのは異物の誤飲。そうだと思いたい・・・けど不安は消えない。
ファミレスにいても落ち着かないので、昼食もそこそこに帰宅する。
ひよりのいない家の中は初めてで、なんだか静かで広々としている。テレビを付けていても落ち着かなくて結局消した。
先生からは、まずはバリウム検査の結果が分かったらお知らせします、と言われている。電話を目の前に置いてドキドキしながら連絡を待った。
電話が鳴る
14:00過ぎ、電話が鳴りビクリとしてしまう。夫と2人で一気に緊張する。
先生「バリウムは肛門まで流れていってます。」
少し安心するが、先生の言葉は続く。
「でも・・・麻酔が効いた状態で触ってみると、お腹のあたりに しっかりした硬いものがあるんです。最初に触診した時は分からなかったんですが・・・。腸に何かあると仮定して改めてレントゲン写真を見ると、そのあたりを避けるようにバリウムが細くなっているようにも見えます。」
え??何?何を言っているの?聞きながら思考が停止してしまう。先生は続けて言う。
「開腹手術をしてみましょう。もし異物や腫瘍だったら取り除きます。いいですか?」
「はい。」私は答えて電話を切った。
”しっかりした硬い物”・・・何だろう?腫瘍?
夫に伝えると、「ネズミだ。ネズミのおもちゃだよ。」と言う。相変わらずポジティブに考えようと必死。自分に言い聞かせているようにも見える。
そうだといい。ネズミならいい。でも・・・違ったら???
(「長い長い1日②」につづく)
****************************
【後記】
私には10歳年上の姉がいます。日記の中に出てくる”姪”は、その姉のひとり娘です。姪は私が中学生の時に生まれて 年の離れた姉妹のように育ちました。アホだ、アホだと思っていたのに、「大丈夫だよ!」と私を励ましてくれて、いつの間にかこんなに頼もしく育ってくれていたことに、この時 今更ながらジーンとしてしまいました。ちなみに現在、姪は高齢者福祉のスペシャリスト(言い過ぎ)で、彼女にとって”胃ろう”はとても身近なことのようです(もちろん人間の)。
写真は、この日 病院に連れていく前のひよりです。この後、寝ているひよりを抱きかかえてキャリーに押し込みます。この写真を見ると、今でも何とも言えない気持ちになります。この時のひよりは、この後に起こる事を何も知らず、私を信頼してゆっくりしていたんだな、と思うと…なんだか たまらないのです。
(’18.12.10)
まずいバリウム ・・・’18.8.30のこと。
↓前回です。”胃ろう”設置と同時にバリウム検査もすることになりました。
また嘔吐
夜中のうちにひよりが嘔吐した。胆汁らしき黄色い液体がトイレの近くに。
昨日も嘔吐したし・・・また体調が悪くなってきた。
ひよりは朝からずっとクローゼットの中で横たわっている。狭いクローゼットの中は ひよりが落ち着ける場所。常にひよりの幅の分だけ開けてある。ここにいるということは、「体調が悪いから放っておいて」ということ。
昨日、”胃ろう”設置と同時にバリウム検査をすることにして予約もとった。バリウムは今夜のうちに私が飲ませることになっている。今日これからバリウムをもらいに病院に行かなくては。
バリウムの飲ませ方や 諸々の心配な事、先生にしっかり聞いておこう。
検査の手順
バリウムをもらいに病院へ。先生に、検査のこと、バリウムの飲ませ方などを聞く。
明日の検査の手順をざっと教えてもらう・・・
まず麻酔をかけてレントゲンを撮り 異物などによる腸閉塞が無いか(バリウムが肛門まで到達しているか)を確認する。
◆異物による腸閉塞があった場合
開腹手術をして異物を取り出し、”胃ろう”はせず その後の食欲回復を期待する。
◆がんなどの腫瘍があった場合
開腹手術をして取れるようなら腫瘍を切除し、”胃ろう”の設置。
◆何も異常が無い場合
”胃ろう”を設置し、その後の様子を見る。
説明はこんな感じだったかな。テンパりながら聞いていたし、メモも取り忘れたのでよく理解していないのだけど、後は先生を信じて全て任せるつもりでいたのでヨシとする。
シリンジに入った5mlのバリウムをもらった。ほんのちょっとだけど、こぼさずに飲ませられるか不安。先生は「少しでも飲めればいいよ」とのこと。
飲ませた直後に吐いてしまう心配もあったので、それも聞いてみると、
「飲んだ3秒後に吐いちゃったらダメだけど、30秒後ならOKだよ。少しでも胃の中にバリウムが残ればその動きを追うことが出来るから。」とのこと。
30秒後なら吐いてしまっても検査はできるんだ。ちょっと気が楽になった。
バリウムを飲ませる手順は・・・
21:00頃、吐き止め薬のセレニアを飲ませる。
(吐き止め薬の効き目は2時間後がMAXなので、バリウムを飲む2時間前に飲ませるのが理想とのこと。)
23:00~24:00頃にバリウムを飲ませる。
嘔吐が無いかしばらく見守る。
バリウムは通常12時間で肛門まで行くはずだから、バリウムを飲ませてから約12時間後の 翌日昼12:00にレントゲンを撮れるように逆算して、この手順になった。
ひよりは相変わらずグッタリと寝ている。今夜は私がバリウムを飲ませなければいけない。こんな体調で、ひよりはバリウムなんか飲めるだろうか。不安でいっぱいになる。
いよいよバリウムを
日が暮れるにつれ緊張してきた。夫と夕ご飯を食べ終えてからは 21:00になるまで時計が気になって仕方が無い。
薬とバリウムは、夫と2人で飲ませる予定になっている。夫も落ち着かない様子。
いよいよ 21:00、まずは薬。
無言で夫と顔を見合わせて 2人で大きく深呼吸をし、ひよりが寝ているクローゼットへ。
ひよりは異変を察知して逃げる体勢。夫がひよりを抑えて私がひよりの口をあけ、オブラートに包んだ薬(セレニア)を放り込む。すぐに口を閉じ頭を固定したまま喉をさする。飲んでくれますように・・・祈りながら喉をさする。
・・・ゴクン。飲んだっ。
はーっ、力が抜ける。良かった。ひとまず吐き止め薬は飲ませることが出来た。
次は本命のバリウムだ。また 23:00まで夫と2人 無言の時間が流れた。
ついに 23:00、バリウム。
また夫と顔を見合わせて さっきより大きな深呼吸をして、バリウムの入ったシリンジと、顔を拭く蒸しタオルを手に取る。
ひよりの眠るクローゼットへ。
ひよりはまたもや逃げる体勢。でも、すぐに夫につかまる。
ひよりを私の膝の上に乗せて、向こう向きに座らせ、ひよりの口の脇からシリンジを噛ませる。夫は、立ち上がろうとする ひよりの両脇を押さえている。
こぼさないように少しずつバリウムをひよりの口の中に流し込む。ひよりはイヤイヤをして私の膝の上で立ち上がり、逃れようとする。グーンと立ち上がったところで、夫に両脇を押さえられ、立った体勢でバリウムを飲んだ。
最後の方は立ち上がった姿勢で固まり、逃れるのを諦めたように必死でバリウムを飲み下していた。
ひよりのツラそうな表情にくじけそうになったが、検査のためだと心を鬼にした。
幸いひよりは嘔吐もせず、時々こぼしながらも バリウムは2/3くらいは飲めたようだ。
ひより、頑張ったね。1度も嘔吐せず よく頑張った。えらかった。蒸しタオルで顔を拭きながらいっぱい褒めた。
よし、これで明日の検査の準備はできた。本番は明日だ。ひより頑張ろうね。頑張って検査して、そして何事も無ければいい。ひより、頑張って元気になろうね!
****************************
【後記】
ひよりが必死でバリウムを飲んだ時の、あの表情。私の膝の上で、後ろ足だけで立ち上がったままの体勢で、全身に力を込めて、目を見開いて、『必死』という言葉がピッタリのあの表情が、何度も何度も何度も何度も蘇ってきます。ひよりはあの時「ひどいことをされている」としか思えなかっただろうと思います。体がシンドイのに、静かに眠っていたいのに、無理やり起こされて、こじ開けられた口からドロドロのバリウムを流し込まれて・・・。
翌日の検査でひよりが がんだと分かった時、私は真っ先にこのバリウムのことを思います。ひよりが最後に 口にしたものがバリウムになってしまった、と。もう助からないならバリウムなんて飲ませたくなかった、と。シンドイ体にドロドロのバリウムなんて拷問以外の何物でもなかった、と。泣いて泣いて泣いて謝り続けることになります。
(’18.12.4)